●●法華宗とは●●
法華宗の御本尊は、日蓮大聖人が定められた大曼荼羅御本尊と言われる御本尊であります。
この御本尊は、宇宙法界の大法たる南無妙法蓮華経を中心に、顕霊二界(我々の世界と霊界)ことごとく、
上は御釈迦様・多宝如来から下は地獄界の提婆達多・阿闍世王に至るまで、お互いの力を出し合い、拝み
あい助け合うことで、この世が出来ている事実を示す、十界勧請の大曼荼羅なのであります。
だから、他宗との相違は「一神一佛」だけの信心信仰ではないと言う事になります我々のお題目である「南
無妙法蓮華経」を唱えている日蓮大聖人門下の宗名が多種多様しており、日蓮宗・日蓮正宗・顕本法華宗など
集めますと数十からの宗名が氾濫しております。だが日蓮大聖人が用いられた宗名をそのまま受け継いでいるのが、
実は私たちの宗門であるところ法華宗なのであります。
日蓮大聖人は、御遺文(大聖人御自身が書かれた全ての書)の「法華宗内證佛法血脈鈔」に、「夫れ妙法蓮
華経宗とは久遠実成三身即一の釈迦大牟尼尊、常寂光土霊山浄土唯一教主の所立なり。−−−−−まさに
知るべし、今の法華宗とは諸経中王の文に依って之を建立す。
−−−−−末法法華一乗の行者法華宗の沙門日蓮ーーーーー法華宗比丘 日蓮 撰」と書かれておられます。
すなわち、妙法蓮華経宗は御釈迦様が自ら妙法蓮華経の修行を実践して立てられた宗旨であり、諸々の経典の
最高の経典である法華経によってできたものであります。そして、日蓮大聖人御自身から法華経の行者であり、
法華宗の僧侶である事を示されておられます。
ですから、御釈迦様が立てられた宗旨を日蓮大聖人がそのまま受け継いで唱えられた宗名が、
「南無妙法蓮華経宗」(妙法蓮華経に南無(=合掌)する宗)あるいは、「妙法蓮華経宗」
であり、これを略して御遺文の中に出てくる「法華宗」であって、日蓮大聖人が自作・自称された
宗名ではありません。そして、日蓮大聖人より伝えられた宗名をそのまま流れ伝えたのが、
私たちの宗名である「法華宗」であります。この点が他の宗名と決定的に異なっております。
それから、日蓮大聖人は御遺文の「妙密上人御消息」の中に、「日蓮はいずれの宗の元祖にもあらず、また末葉
にもあらず」と述べられておられ、日蓮大聖人を元祖として、その御名を用いた日蓮宗・日蓮正宗などの他の宗名は、
日蓮大聖人の後の人が作り出されたものであり、日蓮大聖人の意に反した宗名であります。
法華宗の経典は、「妙法蓮華経」であり略して「法華経」と言われております。
「法華経」は、二十八品によって構成されており、昔は八つの巻き物に別けて「法華経」が書かれていた為に、「八
ノ巻」とも呼ばれていました。
この「法華経」に書かれている御経は全て白文(漢字だけで書かれた漢文)であり、その漢字の数はなんと六万九千
三百八十四文字もあるのであります。
普段拝読する「法華経」の経典には真読と訓読があり、真読とは元々の漢字だけで書かれた白文の経文であり、訓
読とは漢字かな交わりで書かれた白文の書き下し文の経文であります。
「法華経」前半の十四品の迹門では、法華経までの釈尊が説法した経典の総まとめ的法理であり、方便品を中心
に諸法実相の妙理を示されています。
後半の十四品の本門では、釈尊が法理を悟り得たのは実は久遠と云う昔から生まれ変わり死に変わり修行して悟
った事を示し、久遠本佛の立場を初めて明かされ仏教の真髄は法華経であり、過去現在未来において、肉体は滅
しても魂は永遠に滅せず生き続ける事を如来寿量品を中心に示されています。
「法華経」は迹門より本門が、その中でも八品が、そして如来寿量品が一番大切な経典であります。
宗祖は日蓮大聖人であります
「教義」
本門八品上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経を聞信口唱し、自他の謗法を戒め、共に佛にならせていただく自身の幸せを喜び、報恩感謝の心で
佛国土実現を期します。
「宗風」
本門八品上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経の御題目を、唱える同信の人々の喜びに異体同心で結ばれ、御題目を一人でも多くの人に唱えて
もらうために、力を合せて励む宗門であります。
日蓮大聖人は、きわめて多くの著書と手紙を書かれて、遠く離れた土地におられる信者さんに、法を説き明かされる文書伝達をなされたのであります。
その著書並びに手紙を「御遺文」と呼ばれており、その数は七百八十編もありました。内容はすべてにおいて豊かな信心信仰の教えがいたる処に
盛り込まれておられましたので、いただいた信者さん達は、大変大切にして子孫代々伝えられ、現在も大事に保管されておられます。中には命がけ
で守り通したと言う方も多くおられたそうでございます。その中でも特に大切な著書が下記にある「五大部」であります。
「五大部」
「立正安国論」
時ーー文応元年(1260)七月十六日
処ーー鎌倉 松葉ヶ谷草庵
天地地異があいついで起こり、前代未聞の悲惨な現状を眼前にして、恐怖におののく民衆が間違った信仰をせずに、正法の法華経信仰をしてこそ、
社会が正しく回転する根本姿勢を国家に諫言された御書であります。
「開目抄」
時ーー文永九年(1271)二月
処ーー佐渡 一の谷
法華経を弘め衆生救済の為に、出現した法華経の行者としての自覚を深め、《我れ日本の柱とならん。我れ日本の題目とならん。我れ日本の大船
とならん。》の三大請願をされた『人開顕』の御書であります。
「観心本尊抄」
時ーー文永十年(1272)四月
処ーー佐渡 塚原三昧堂
著述された御書の中でも最も大切な書であり、総名南無妙法蓮華経の教義を説かれた『法開顕』の御書であります。
「開目抄」と「観心本尊抄」は、教法を弘める人と弘める法が説かれたので、一通の御書であります。
「撰時抄」
時ーー建治元年(1275)六月
処ーー身延山
法華経を弘める時節時期を、撰定され明らかにした御書であります。
「報恩抄」
時ーー建治二年(1276)七月二十一日
処ーー身延山
恩師道善房墓前にて、道善房師に対する報恩感謝の気持ちを述べた御書であります。